あなたが映画好きだとして、これまで1つの作品を最高何回見ましたか?
私は、20回見ました。それもDVDでも飛行機の中でもなく、アプリでもなく、短期間に全てを封切りの映画館で。
なぜ、こんなに何回も見たのか、そしてその後何が私に起こったかをお話します。
ある年の2月、私は昇進を密かに期待していました。毎年2月の終わりに次年度に向けての人事異動が発表されます。ハードワーカーの仕事人間であった私は、密かに昇進を期待していました。それにおかしくないくらい働いたとも思っていました。今後の人生設計のためにもどうしても昇進したかったのです。しかし、結果は、昇進はなく、役職から外れました。
発表ののち、自分が惨めでたまらず、顔を上げることもできず、〝落ち込む“という以上に口惜しさと怒りで呆然としていました。
その最中に見たのが『君の名前で僕を呼んで』というタイトルの映画でした。
どういう映画か一言で言ってしまうと、ゲイのカップルの切ないラブストーリーです。最初に見るときは、特に大きな期待もなく、話題にはなっているからくらいの理由で見たのですが、主人公と主人公の恋人の美しさと、また愛し合っていても別れざるを得ない切なさに、私はこの映画に恋に落ちてしまいました。
もう一度見よう、そして見た後も更にもう一度見たい、その後もまた見たいと、まるで中毒になったように映画に夢中になりました。
昇進できなかった苦しい気持ちを忘れるためにも、ひたすら甘い悲しいロマンスの世界に浸りたく、他のことを考えたくもなく映画館に通いました。そしてなんと20回も見たのでした。ゴールデンウィークの頃でもあったので、その期間はほぼ毎日見ていました。映画を見ている時だけが自分が生きている時間で、それ以外は何もない無味乾燥で味気ない日々でした。
1回目の鑑賞では、ストーリーを追うのに一生懸命でディテールが十分に頭に入ってきていないのです。それが2回目、3回目と回を重ねるにつれ、ストーリー中の張られた伏線がわかってきて、画面の隅にある小道具の意味も回数に比例してだんだんと分かってきます。逆に言うと、1回目はストーリーを追うのに一生懸命で全体の7割くらいしか理解できていない感じです。この映画でも、回を重ねるごとにだんだんと細部にまで目が行くようになり、10回目くらいまでは毎回新しい発見がありました。
10回目以降も、このころになるとカット割りも覚え新しい発見は無くなっていったのですが、それでも映画は美しく、俳優はうっとりするほどハンサムで、最後の別離にいたるクライマックスは甘く、悲しく、心が震え夢中で見続けました。
しかし、丁度20回目を見終わった後、もう感動は全くなくなって、まるで出がらしのお茶のようになりました。味もなければ香りもない、色も無色透明のようになった時、も~見なくていいなと思えたのでした。それと同時に、苦しいほど深い傷を負って失望の中にいたのですが、この傷が少し癒えてきた感じがしました。こういう状況になったことはしょうがない、これはこれで受け止めなければと思えたのでした。
あの深い絶望からあの映画が私を救ってくれたと思っています。
まるで映画による治療、ムービー・セラピーと言ってもいいようなものでした。
とても精神的にきついとき、日常から離れて無茶苦茶何かに熱中してみる、傍目からはちょっとおかしんじゃないか、大丈夫か、いい加減にしたらとか言われようが、何かに没頭するという行為は、傷ついたあなたを癒してくれるかもしれません。