環境が大きく変化したときに・・・空っぽの自分がいた
29歳の終わり頃、2年間留学していたアメリカから帰国した。卒業後の就職は日本の大手企業にばっちり決まり、留学を経てステップアップ転職、という計画をしっかり歩んでいた。しかし順調である一方、心の中では環境の変化にうまく適応できずに苦しんでいた。
本当は、アメリカ生活が快適で日本に戻ってきたくなかった。甘くはないけれどアメリカの「あなたはあなた」、「私は私」と個が確立されている世界。一方、常に人の目や評価を気にしながら自分のしたいことも調整を図らなければいけない日本。特に、日本企業の独特の同調性を求めるカルチャーが息苦しくてたまらなかった。
戻ってきたくなかったのに戻ってきたのは、アメリカでは就職先がなかったから。留学により大きな借金を背負っている身とあっては、大学院卒業後のんびりしている間はなく、早く収入を得たかった。アメリカにいた恋人とも別れざるを得なかったのも、日本での孤独感や寄る辺の無い思いを強く感じさせた。
アメリカに帰りたくて帰りたくでたまらなかった。
毎日、そういう葛藤を押し殺して、朝起きて会社に行き仕事をして帰宅して寝る毎日の繰り返しは、まるで負のスパイラルに入ったように1日毎に落ちこみが深くなっていった。そして、ついに何もできなくなってしまった。
生活から一切の欲望が無くなった。
欲望というのは天下を取りたい等の大望などではなく、「○○したい」という気持ちのこと。例えば「ラーメンが食べたい」とか「映画が見たい」とか、日常に皆が単純に思う〇〇したいという気持ちのことなのだが、この何かしたい、何か欲しいという気持ちが一切なくなった時、喜怒哀楽を感じず空っぽの頭でただ息をしているだけの自分になっていた。
朝になったら出社し、帰ったら直ぐ横になって寝る、ごはんも食べる気にならない、何も欲しいものもしたいこともない、身なりに構う気もなくなりどうでもよくなるという状態になった。
私はあきらかにおかしかっただろう。もし、同居人がいたら私を病院に連れて行ったかもしれない。しかし、一人暮らしのためずっとこの状態が続いた。
村上春樹の短編小説『女のいない男たち』の中に入っている『独立器官』に、失恋のため食事もとれなくなり何もできなくなってしまい、ベッドにただ横たわったまま死んでいった男の話がある。ずっと後になってこの『独立器官』を読んだとき、あの留学から戻ってきた直後の自分と全く同じだと思った。
3か月ほど息をしているだけの状態が続いた後、「このままではやばい」という気持ちの自分が、アメリカ行きの飛行機のチケットを取り、ホテルを予約した。そして息をしているだけの自分を、死に物狂いでベッドから引きはがし、アメリカ行きの飛行機に乗せた。
「うつ」には安心できる場所が必要
ニューヨーク、ジョンFケネディ空港に降り立った途端、まるで魔法のように以前の自分が一瞬で戻ってきたのを感じた。ベーグルを食べたい、久しぶりにメトロポリタン・ミュージアムに行きたい等、○○したいという思いが次々に沸き上がってきた。
ニューヨークには1週間滞在し、日本に戻った。帰国の際、日本に戻ったらまた前の状態に戻るのではないかという不安があったのだが、そういうことは起こらず、日本に戻ってもぶり返すことなく以前の自分を取り戻していた。
なぜあの時、息をしていることしか出来なかった自分に、アメリカ行きができたのか不思議でしょうがない。神様が助けてくれたか、先祖のご加護のおかげか。もし渡米しなかったら、どんなに大変なことになっていただろう。今でもできたことが奇跡のように思える。
あの状態は確かにうつであったこと、そしてそれを治したのは行動であった。
焦らずしっかり休養を
あれからも、時々とても辛い落ち込みのスパイラルに入っていきそうになるときがある。
風邪の始まりに寒気がするとか喉が痛いとか前触れがあるように、精神面での不調の予兆を感じるときがある。
そのときは、負のスパイラルに入っていかないように、どんな約束があろうが、どんなに不義理をしようが全てに優先して自分で回復を図る行動をするようにしている。
美味しい食べ物を食べるとか、集まりの参加を断って小旅行に行くとか、自分に何か贅沢を許すとかで落ち込みの断ち切りを図っている。
そもそも不調だから行動できないのであって、不調を行動で治すというのはとても難しいことだ。
しかし、やばくなったら何か行動をする、行動が解決してくれると信じている。


